「歴史の回復」としてのフィリピン考古学
991109
国際交流基金アジア理解講座フィリピン
小川英文・東京外国語大学
I.フィリピン考古学史一これまでのフィリピン先史代はどのように再構成されてきたか?
◎基礎知識フィリピン先史時代区分:スペイン到来以前のフィリピン先史時代における編年的枠組
旧石器時代(500万年前〜1万午前):「農耕以前」の狩猟採集社会→フィリピンでは数十万年前のカバルワン文化(礫器)-南方アジア古生人類の比較研究
先金属器時代(1万年前〜約Z000年前):「新石器時代」が使えない理由→狩猟採巣社会の存続;最古の土器は7000年前(カガヤン州ローレンテ洞穴)
金属器時代(約2000年前以降):青銅器、鉄器出現以降
陶磁器時代(9世紀以降〜スペィン到来):貿易陶磁器(中国・クメール・ベトナム・タイ・イスラム)
第1期9〜10世紀晩唐・五代期ラウレル遺跡
第2期10-〜12世紀牝宋初期パランガイ遺跡(プトウアン)
第3期12〜13性紀南宋期アビオグ洞穴遺跡
第4期13後半〜14批壽己元後期〜明初期バランガイ邊跡(ブトゥアン)
第5帝15〜16世紀前半明代前期カラタガン遺跡
標識遺跡-ルソン島カバルワン遺跡・夕ボン洞穴群(旧石器以降)、ルソン島ペニャプランカ洞穴群(先金属時代以降)、ルソン島北部、パラワン島、ミンダナオ北部に調査が集中
1.フィリピン諾島社会の成り立ち
◎民族の「モザイク」的構成の説明:
べイヤー(O. Bayer)の民族移動説一先住民ネグリトと古マレー、新マレー集団の到来
現在のフィリピン諸島内における民族条団の「モザイク」的分布のあり方・文化要索の相違を、民族「到来」の時期の違いとして説明→I920〜30年代の東南アジア「民族学」のテ−マであった、
生業形態や文化要素が異なる民族の「混在」の説明に呼応→ハイネゲルデルンの民族「隔離説」
現在でも「東南アジア民族移動」というテーマは、文化要素の相互比較を目的とする「文化史的考古学」や、東南アジア大陸部からオセアニアにかけての「モンゴロイドの拡散」(BC2000〜AD1000)というかたちで取組まれている→ベイヤー以脩、現住に至るまでの欧米考古学者によるフィリピン先史学への取組みは、民族構成の説明を基調としてきた→ゾールハイムほか
◎海を越えたダイナミツクな交流と文化圏:
石製耳飾の交易:先金属器時代におけるサフィン文化(ベトナム中部)、卑南文化(台湾南部)との類縁関係、ゾンカーボー墓地遺跡(ベトナム南部)とタボン洞穴甕棺墓の副葬品の類似.
「貝斧」文化圏:大シャコ貝の蝶番部をもちいて作製された斧→宮古八重山諸鳥とパラワン島のみの出土;沖縄・フィリピン共同調査
◎「大伝統」の到来:インド、中国、イスラム文化との交流→開かれた海域社会
「ラグナ銅版銘文」の発見(ポストマI994):10世紀以前の「インド化」されたフィリピン諸鳥社会の様態
中国文赦に見るフィリピン諸島社会:スベイン到朱以前、中国人のフィリビン諸島認識:『諸蕃志』『島夷志略』→貿易陶磁研究の限界;交易品の存在によって交渉の存在は確認できるが、それを受け入れた社会の実態には迫れない→複合仕会論の人類学的アプローチの必要性
陶磁交易と地域ネットワーク;沈船出土貿易陶磁器→近年の成果;大量のチャンパ陶磁の発見→パラワン鳥パンダナン遺跡出土のゴサイン窯製品(14〜16世紀)
イスラム商人の交易活動:9世紀のイスラム青釉陶器(イラン)、ファユーム陶器(エジプト)の出土:ラウレル遺跡(バタンガス州)、ブトゥアン遺跡(ミンダナオ島北部)
2.フィリピン先史時代の「人類史」的位置づけ:先史時代フィリピン社会の発展過程のアプローチ
◎狩猟採集社会のあからさまな「周辺的」位置付け:旧石器時代から「新石器時代」への転換が不明確、石器の形態変化が乏しい→「人類の文明」にはl寄与しなかった東南アジア狩猟採集社会」(モビウス)→ユーロセントリックなバイアス;60年代以前の説明→狩猟採集社会イメージの変化;「未開」(60年代以前)→「ユートピア」(60−70年代)→「周辺化された」現実
◎ システム論的視座の導入:先史時代の変遷を人類による環境(自然・社会的)への適応過程と考え、人類史の大きな転換点であった農耕社会、国家の発展過程を主要な課題として取り扱う考古学の手法;60年代以降のNew Archaeology(プロセス考古学)の手法→モデルと仮設構築による先史社会進化プロセスの説明;「文化」間の類似関係から社会変化のプロセスへと関心が移行→単独の遺跡調査から地理的に限定された遺跡群総体への調査へ;特定の人工遺物のみのへの関心から、生物学、地理学など自然科学を組み込んだ総合的・学際的考古学調査体制の確立→考古学者が実際手にすることができる経済的データから想像の領域である社会的・政治的側面への介入→
「熱帯」という自然的、地域的コンテクストに即した先史社会理解→石器形態変化の乏しさも熱帯の生態系への適応の結果と考える;「熱帯」からの視角のバイアス排除→システムとプロセス→フィリピン先史社会の実態と変化に対するアプローチの定式化
◎ 複合社会論:首長制社会(国家前段階)の成立→発展過程解明を目的→サーリンズらの「社会進化論」やシステム論に依拠しながら海外からの交易品を受け入れ、その対価を送り出してきたフィリピン諸島社会の発展過程をさぐる→広い領域を治める王権と国家体制は存在しなかったとしても、海外との交易を可能にし、その対価となる地域内産品の集荷・管理システムを維持する政体の存在を仮説演繹的に考古学データによって検証→サマール、セブ、ネグロス島をフィールドとして複合的首長制社会の存在と発展過程を検証
II. 狩猟採集社会と農耕社会の相互依存関係
1. ラロ貝塚群の総合調査
問題設定:現在に至るまで狩猟採集社会が存続するのはなぜか?それを可能にしたシステムのメカニズムとその変化のプロセスを解明→農耕社会との相互依存関係の視角;ルソン島北部カガヤン河下流域40km四方の調査域;平地から丘陵まで立地の異なる遺跡群の時代的変遷をたどることによって、狩猟採集社会と農耕社会との相互関係の変遷をさぐる。
2.民族考古学;観察可能な人間行動から過去に適用するモデルを構築
狩猟採集社会イタ族の生業活動;自然環境の利用と食料・労働力の交換;ネグリトの生業活動に占める「交換」の高い比率→農耕社会との相互関係なくしては存続できない現状
貝採集民の生業活動;貝採集と交易に生業活動を特化した人びと
隣接して生活する狩猟採集社会と貝採集民→互いに交換・交易を生業の中心に据える
3.自然科学的調査;
自然条件の限定的要素をさぐる;世界の熱帯雨林狩猟採集社会のなかで、農耕社会との関係をもたないものはない→熱帯雨林で自立は可能か?;食料生産性、特に炭水化物の食物の不足→「森林の歴史」解明(花粉分析)、河川環境や海水面変動(地質学)、動・植物分布の調査→人間が利用可能な自然条件、人間による環境の改変の歴史;森林産品、魚介類の生息条件の変遷、森林の伐採と農地の開墾の歴史
4.狩猟採集社会の「隔離」から「異種混交」へ;「文化」の本質主義的理解への反省→旧石器時代のままに「停滞」した狩猟採集社会像や「文明」に汚染されていないユートピア像;「歴史の隠蔽」→先史時代から今日にいたるダイナミックな交流を行ってきたフィリピン諸島社会像の追求へ
III. 「歴史の回復」としてのフィリピン考古学;フィリピンから提示される考古学の新たな可能性◎フィリピン考古学研究の新たな視座の獲得;「周辺化」から「脱中心化」へ
これまでのフィリピン先史社会のイメージ;「非文明」や「文明化の過程にあるもの」、あるいは「ユートピア」として描かれてきた→いずれにしても「文明の対極」イメージ;「中心」からのイメージの一方的押し付け;「文明」を尺度とした過去の再構成→フィリピン先史社会の「周辺化」;歴史の「隠蔽」から「回復」へ→「文明」を理念として掲げる過去の再構成のあり方=「国民文化」としての考古学の解体;「脱中心化」
◎考古学的「事実」と「表象」;「事実」として提示された「過去」がわれわれの社会にどのように機能し、受容されてきたかという問題設定→「外国人」による「歴史の横領」への批判;植民地の過去を「文明」に位置づけ、自らのものとする横領
◎フィリピン人考古学者による本質主義的過去表象への批判;植民地主義への抵抗、未来への投企としての「来歴」の提示→「固有性」「純粋性」に一元化する「国民文化」としての考古学の解体へ
◎政治的ジレンマと過去の表象に対する責任;フィリピン人考古学者からわたしへの批判
「周辺」としてのフィリピン先史時代研究から発せられた考古学の新たなパースペクティブ;解体と表象責任
参考文献
青柳洋治
1992 「交易の時代(9-16世紀)のフィリピン−貿易陶磁に基づく編年的枠組−」『上智アジア学』10:144-176
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小川英文
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1998 Problems and Hypotheses on the Prehistoric Lal-lo, Northern Luzon, Philippines - Archaeological Study on the Prehistoric Interdependence between Hunter-Gatherers and Farmers in the Tropical Rain Forest -『東南アジア考古学』18: 123-166
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1999b 「考古学者が提示する狩猟採集社会イメージ」『民族学研究』63-2:192-202
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1999d 「自然と生業」上智大学アジア文化研究所編『新版入門東南アジア研究』:23-35、めこん1999e 「東南アジア 発掘の歴史と考古学」、吉村作治編『東南アジアの華アンコール・ボロブドゥール』、平凡社
2000a 「狩猟採集民と農耕民の交流−相互関係の視角−」、小川英文編『交流の考古学』: 266-295、岩崎卓也監修『シリーズ 現代の考古学』第5巻、
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2000c (編著)『ラロ貝塚群の発掘調査―東南アジア島嶼部先史時代の考古学的調査』文部省科学研究費国際学術調査報告書
(ed.) Excavations of Lal-lo Shell Middens - Archaeological Studies on the Prehistory of the Lower Cagayan River, Northern Luzon, Philippines. Report presented to the Ministry of Education, Science, Sports and Culture, Tokyo.
Postoma, A.
1991 The Laguna Copper Plate Inscription. National Museum Papers. Vol. 2, No. 1: 1-25. Manila: National Museum.
ポストマ、アントン(小川英文訳)
1994 「ラグナ銅版の発見」宮本勝・寺田勇文編『アジア読本−フィリピン』河出書房新社
坂井隆
1998 『「伊万里」からアジアが見える』講談社
たばこと塩の博物館
1998 『航路アジアへ!−鎖国前夜の東西交流』たばこと塩の博物館