沼野恭子
ようこそ、氷の大陸へ!
ラテンアメリカ文学者、久野量一氏の著書『島の「重さ」をめぐって──キューバの文学を読む』(松籟社、2018)を紐解くと、アナ?リディア?ベガ?セローバというロシア出身でキューバ在住の作家が紹介されている。彼女は、独特の「ロシア語(ボルシチ)混じりのキューバ語(アヒアコ)」を用いているのだそうだ。いったいどんな味なのだろう。
チベット語作家ツェラン?トンドゥプの『黒狐の谷』(勉誠出版、2017)を読んでいたら、ゴーゴリの『査察官』のチベット?ヴァージョンかと思える痛烈な風刺短篇に遭遇。訳者のひとりであるチベット語学者の星泉氏の解説によると、著者はゴーゴリやチェーホフを愛読しているとのこと。チベットに同志がいて嬉しくなる。
はたまた、『世界を食べよう──東京外国語大学の世界料理』(東京外国語大学出版会、2015)なるグルメ本を手に取れば、文化人類学者の山内由理子氏が、「パヴロヴァ」というフルーツケーキを「オーストラリアのお菓子の象徴」と紹介している。ロシアの伝説の舞姫アンナ?パヴロヴァにちなんで作られたデザートなのだという。
これらのエピソードを挙げたのは、なにもロシア文化の影響が地球規模で広がっているなどという愚かなことを言いたいからではない。異質なものが触れあい、共振?反発?同化?変容といったさまざまな反応が引き起こされる過程にこそ文化の発展する可能性がある。共通のパラダイムが存在しなくても──すなわち「共約不可能性」の上にも──比較すべき文化現象があり得ることを『世界文学とは何か?』の著者デイヴィッド?ダムロッシュ氏は強調しているが、遠くかけ離れた時空の、まったく異なる土壌に思いがけない「響き交わし」を見つけたときほど心ときめく瞬間はない。
総合文化研究所がそのような至福の瞬間をいくつも共有しあえる楽しい場であってほしい……と考えているうちに、それは南極大陸のメタファーで表せるのではないかと思い至った。南極は、子午線が一点に集まる場であり、どこの国のものでもなく(領有権を主張した不埒な国はあったものの)、軍事行動は禁止されている。南極大陸は、あらゆる民族?人種の違い、性差を越えて人が集うことのできるユートピアではないか。実際、2017年に行われた第1回南極ビエンナーレの統括責任者アレクサンドル?ポノマリョフ氏は、その目的を「国家の枠組を越えた南極で、さまざまな国の人々が平等に創造と研究に取りくみ、対話を重ねることによって人類共通の問題を考えていく」ことであると述べている(鴻野わか菜氏「舞台は南極」『美術手帖』ウェブサイトより)。
というわけで、私はこの際、総合文化研究所を「南極研究所」に改名する提案をしようかと思ったほどなのだが(改元に倣おうというつもりはさらさらないけれど)、それでは文字どおりに南極を科学的に観測する研究所と間違えられてしまいそうなので断念しようと思う。
でも、思いは変わらない。
子午線に添ってどんどん南へ、南へと進もう! たとえ氷に閉ざされた過酷な環境が、人文系研究への風当たりの強さを示唆しているとしても(!)、挫けず南極に集い、おおいに語らおうではないか。陸も海も縦横に動きまわるペンギンのように、複数のジャンルを駆け巡ろうではないか。
さまざまな言語が飛び交い、移動と越境の物語が交差するなかで、創造の糸口が発見され、点が線となる場。賑やかな音や声が響き交わし、知の化学反応が起きて、新たな価値観が生まれる場。ようこそ、この自由と友愛に満ちた私たちの氷の大陸、総合文化研究所へ!
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