多文化教育研究プロジェクト 連続セミナー「多文化共生としての舞台芸術」第5回「ミュージカル」

日時

2021年8月18日(水)18:00~19:30

場所

Zoomウェビナーでのオンライン開催

講師

高橋知伽江(たかはしちかえ)

脚本家、翻訳家。東京外国語大学ロシア語科卒。フリーランスで演劇台本の執筆、翻訳、訳詞を手がける。なかでも『誓いのコイン』『手紙』『生きる』等オリジナルミュージカルの創作に力を入れ、来年開幕の劇団四季『バケモノの子』で脚本を担当。『アナと雪の女王』等ディズニー映画の訳詞多数。本年、翻訳?訳詞をした舞台は『アリージャンス~忠誠~』、『アナと雪の女王』等。第4回小田島雄志?翻訳戯曲賞、第23回読売演劇大賞優秀スタッフ賞受賞。

内容

ミュージカルと音楽劇の違いをご存じでしょうか。ミュージカルは芝居に歌やダンスが加わっただけと誤解している方、多いのではないでしょうか。身近なようで実はあまり理解されていないこのジャンルに親しんでいただくために、ミュージカルにおいて「歌」がどのような力を持っているのか、どのような飛躍が可能になるのかを実例をあげながらご説明したいと思います。また、「多文化共生」という本セミナーのテーマを鑑みて、舞台上で二つの言語(日本語+外国語)が話される2作品を例にとり、どのようにコミュニケーションまたはディスコミュニケーションを描くか、舞台ならではの難しさの一端に触れていただきます。

備考

  • 一般公開
  • 参加費無料
  • 事前申込制
    参加ご希望の方は、8月17日(火)17:00(日本時間)までにこちらのフォームよりお申し込みください。

主催

東京外国語大学 総合文化研究所

共催

東京外国語大学 語劇支援室

予告 多文化教育プロジェクト 連続セミナー

  • 第6回「舞踊」永田宜子(新国立劇場 前研修主管参事(元舞踊チーフプロデューサー))
  • 第7回「日本の古典演劇」小早川修(能楽師)
  • 第8回「日本の現代演劇」内野儀(学習院女子大学教授、アメリカ演劇?日本現代演劇)

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沼野恭子 nukyoko[at]tufs.ac.jp ([at]を@にかえて送信してください)

講演報告

 8月18日に行われた第5回「ミュージカル」では、本学ロシア語科卒業生で、ミュージカル脚本家?翻訳家の高橋知伽江(ちかえ)氏をお迎えした。高橋氏と言えば、ディズニー映画『アナと雪の女王』の翻訳家というイメージが強いが、ディズニー映画やミュージカルの翻訳だけではなく、オリジナルミュージカルの脚本執筆も精力的に取り組まれている。2022年春には、高橋氏が脚本を手掛けた『バケモノの子』(原作:細田守)が劇団四季で上演予定である。

 前半ではミュージカルという舞台芸術の特色の解説が行われた。特に印象に残ったのは「言葉=歌詞は翼をもつ」という発言である。ミュージカルの歌は単に登場人物の心情や状況を歌詞にしたものではなく、歌のなかでストーリーが進行すると高橋氏は言う。たとえば『アナ雪』の『Let it go』では、手に触れたものを凍らせる特別な力を長らく拒んでいたエルサがその力を受け入れるという心情の変化が起きている。
 もちろん、台詞によってストーリーを展開させることも可能であるが、あえて歌詞でそれを行うことでドラマを「飛躍」させることが可能になる。その「飛躍」にはいくつかのパターンがある。
 一つ目は、時間を早回しする効果である。先述の『Let it go』のシーンでは3分半でエルサは自分の力を受け入れるが、現実ではありえないことだろう。しかし、あの場面に多くの人は違和感を持ってはいない。
 二つ目は、場所を「飛躍」させる効果である。高橋氏が脚本を手がけたミュージカル『生きる』(原作:黒澤明)では、癌を患って死を覚悟した主人公?渡辺が生きている実感を得るために、仕事を無断欠勤して楽しそうに暮らしているように見えた元部下?トヨと一緒に行動する。その場面が一曲になっているが、帽子屋、映画館、トヨの勤める工場、渡辺の息子と嫁がいる部屋と次々と場面が移り変わる。そのようにミュージカルでは映像的な表現が可能なのだ。
 三つ目は、声なき言葉を届けるという効果である。ミュージカルでは、直接口にしていない心情も歌詞にすることで表現することができる。モノローグとして台詞で表現することもできる。しかし、曲にすることで複数人の心情を再現可能となり、時間と場所の「飛躍」を同時に行えるため、複雑で繊細な状況をわかりやすく伝えられるのである。
 たとえば、高橋氏の脚本によるミュージカル『手紙』(原作:東野圭吾)は、弟の学費のために空き巣に入ったが、現場を目撃され殺人を犯した兄?剛志と、殺人犯の家族として差別に遭う弟?直貴の物語である。兄は刑務所から弟に手紙を送り続けていたが、時が経ち、家庭を持った弟は家族を守るために事件と決別するべく、「兄弟の縁をきる。二度と手紙を書かないでくれ」という最後の手紙を送る。そして、被害者の息子の元へ謝罪に行くと、兄から被害者の息子に送られた手紙を見せられる。そこには絶縁の手紙を受け取った兄の心情が書き綴られていた。
 ミュージカルでは一つの曲で、刑務所で手紙を書く兄とそれを読んだ被害者の息子と弟の心情が表現されている。三者とも自分の感情を歌っているのだが、その感情を抱いたタイミングも場所もそれぞれ異なっているのだ。

 後半は、本連続セミナーのキーワードでもある「多文化共生」という視点から高橋氏が関わった二つの作品が紹介された。そもそもミュージカルでは多文化が混じり合うことは珍しいことではない。1957年初演の『ウエストサイド?ストーリー』ではポーランド系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人の対立が描かれている。作中で両者の違いを際立たせているのは言語である。プエルトリコ系の台詞では要所要所でスペイン語を用いている。そのようなミュージカルを日本語へと翻訳する際には、すべての外国語を日本語に翻訳するだけでは不十分なのだ。
 その上で、日本語で上演されるミュージカルで多言語状態がどのように表現されているのか説明が行われた。まずは、高橋氏が上演台本?訳詞を手掛け、2021年3月から4月に上演された『アリージャンス~忠誠~』という、太平洋戦争下で敵性外国人として扱われた日系アメリカ人一家のミュージカルである。
 冒頭、FBIが主人公一家を訪ね、英語がわからない移民一世のおじいちゃんに英語で高圧的に尋問する。この場面の台詞をすべて日本語にすると、全く知らない言語でFBIに尋問される恐怖を表現できなくなってしまう。実際、日本上演ではFBIの台詞を英語のままにされているが、観客が英語の台詞が聞き取れないと状況が理解できず、物語についていくことができない。そこで、著作権上の許可を取り、FBIの尋問をアメリカ生まれの孫が通訳するという台詞を追加してドラマの展開の中で無理なく状況を理解してもらう工夫がなされている。
 もう一つは、2011年に愛媛県の坊ちゃん劇場で初演された『誓いのコイン』という高橋氏のオリジナル?ミュージカルである。この作品では、日露戦争中に捕虜として松山に連れてこられたロシア人将校?ニコライと日本人看護師の間に芽生えた恋を描いている。
 ニコライが病院を脱走した際に空腹に倒れてしまい、地元のおばあちゃんとお嫁さんに助けてもらう場面がある。おかゆをご馳走になった後、おばあさんが急にお腹が痛いと苦しみ出す。そこで、ロシア人将校は「ドクトル!(ロシア語で医者)」と言う。しかし、「この人、毒(どく)を取(と)るとかこうとか言うとりますけど!」と意味を理解しないまま、ニコライはおばあちゃんを自分が脱走した病院へと連れて行き、事なきを得る。この場面では、あえて通訳のような役割を入れないことによって、「言葉は違っても心は通じ合うことが可能である」という主題を鮮やかに描き出している。
 この二つの作品は、日本の観客を対象として多言語が飛び交う状況を舞台上で表現しているが、観客に伝えたい内容に合わせてそれぞれ異なるアプローチが取られている。「多文化共生」を実現するにあたって、単に過去の事例を機械的に取り入れるのではなく、その都度現場の状況や目的に合わせて柔軟に考えることが求められるのではないか。

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