2014年11月に実施された、スタディツアー「中ロ国境地域の政治?経済情勢を学ぶ」(報告記事)に参加した学生が、4月11月から26日まで、本学の研究講義棟1階ガレリアにて、スタディツアーの写真の展示をおこなっています。展示された各写真には解説もついていて、中ロ国境地帯の現状を知るための貴重なソースとなっています。ぜひご覧ください。
2014年度の最近のブログ記事
2015年3月3日から3月9日に実施された、ラオス北部でのスタディツアー(引率:菊池陽子)について報告いたします。
言語文化学部2年生1名、国際社会学部3年生1名、外国語学部3年生1名、総合国際学研究科前期課程学生1名、計4名の学生が参加し、ラオス国立大学社会科学部教員1名が同行しました。
本研修は、ラオスの現政権につながるパテート?ラオの根拠地が置かれていたサムヌア、内戦時、激戦地となり、ラオス国内で最も米軍の爆撃を受けたシェンクワンを訪問し、ラオス現代史を理解することを目的に計画されました。サムヌアでは、ラオス内戦時に、米軍の爆撃を避けて洞窟内に置かれた司令部やラオス革命の指導者たちの住居などを見学し、内戦と呼ばれてはいても、けして内戦ではなかった当時のラオスの状況を理解しました。シェンクワンでは、爆撃により多くの人々の命が奪われた洞窟、40年以上がすぎてもあちこちに残る爆撃でクレーターのように穴の開いた平原を目の当たりにし、爆撃の凄まじさを実感しました。
そうした学びとともに、古代遺跡の点在するラオス北部は、古代からの長い時間の流れの中でラオス史を考えることのできる地でもあり、文字資料のない時代のラオスや大陸部東南アジアについて、想像力を膨らませあれこれ思いを巡らせました。
日本へ帰国する日、ビエンチャンの空港で、この研修中、何度その名を聞いたかわからないラオス革命の指導者の一人、「赤の殿下」として知られている「スパーヌウォン」の長女に偶然出会い、一緒に写真を撮ってもらいました。この研修を締めくくる1枚になりました。
2015年1月3日から10日にかけて、本学で南アジア地域を専攻する学生8名を対象として実施された、インド北部およびアラブ首長国連邦でのスタディツアー(引率?露口哲也)について、報告いたします。
本スタディツアーの目的は、南アジア地域のムスリムを取り巻く環境を知ることです。同地域のムスリムをとりまくローカルあるいはリージョナルな紛争や摩擦については、日本でも関心が比較的に高まっていますが、その一方で「宗教対立」や「過激主義」などにかんする表面的なイメージだけが先行しがちです。そのような見かたでは捉えきれない、現地の多面的で複雑な実情を理解することは、同地域を専攻する学生にとって、とても重要なことです。
インド国内では、デリーを経由してアヨーディヤーおよびラクナウーを訪問しました。
アヨーディヤーにはバーブリー?モスクの破壊跡があります。この都市は、ヒンドゥー教の聖地の一つで、巡礼客が多く訪れる一種の門前町の様相を呈していますが、ムガル帝国初代皇帝バーブルの時代にモスクが建設されました。ところが、ヒンドゥー?ナショナリズムが高揚する中1992年、このモスクは破壊されてしまいます。破壊されたモスクの跡地は、現在では、ヒンドゥーの参拝客が訪ねる巡礼の焦点という様相を呈しています。まさにヒンドゥーとムスリムの宗教対立を象徴する極めてセンシティブな対象だけに、警備は非常に厳重です。訪問した学生たちも、パスポートとヴィザのコピーの提出を警察に要求され、カメラ、時計その他の持ち込みを禁じられ、さらには見学用の通路で計4ヶ所の検問を通過させられました。
ラクナウーではバスをチャーターし、緑豊かな新市街を横目に旧市街、とくにバラー?イマーム?バーラー、チョーター?イマーム?バーラーなどイスラームの歴史的建造物が集中する一画を見学しました。
UAEではドバイに訪れました。南アジアというよりも中東または西アジアに位置するドバイは、近年では、パキスタン人の新たな活躍の舞台にもなっています。
市内でのフィールドワーク後、ドバイのメディア?シティーに本部を置く、パキスタン最大の民放GEO TV の放送局を訪問。マネージャーのフマーユーン?サギール氏より、同テレビ局の現在の状況や活動、パキスタンにとってのドバイの役割、ドバイにおけるパキスタン人の状況などについて、講義を提供していただきました。また、局内部をご案内いただき、ウルドゥー語によるテレビ放送の現場を見学することができました。
南アジア地域のムスリムの現実の社会生活を見るためには、まだまだ訪れるべき多くの場所がありますが、限られた時間の中では、中身の濃い有益なフィールドワークが実施できたといえます。
2015年1月6日から15日にかけて、本プロジェクトの一環として実施された、スタディツアー「インド?イマージョン?プログラム」について、報告いたします。
本スタディツアーは、貧困、社会の多様性と共存といったテーマにかんする集中講義と、ムンバイ市内、とくにアジア最大のスラムといわれるダラヴィ地区(Dharavi)でのフィールドワークから、構成されており、本学学生9名が参加しました。
集中講義は、ムンバイ大学との提携関係にあるソーシャルワーク?カレッジ(College of Social Work, Nirmala Niketan)の教員の皆様にご提供いただきました。また、フィールドワークでは同カレッジにくわえて、ダラヴィ地区住民自治組織である PROUD: People's Responsible Organisation of United Dharavi にも、全面的にご協力いただきました。
【集中講義】
ソーシャルワーク?カレッジ(Nirmala Niketan)では、インド社会の文化的多様性(言語、宗教、気候、食文化、芸術、等)や経済的多様性、他面における宗教対立や土地開発をめぐる対立、さらにはカシミール紛争といった諸テーマについて、学生たちは講義を受けました。
また講義においては、インド社会がもつ多様性と一体性への確信に裏づけられた、さまざまな社会活動が紹介されました。そのような確信のもとで、宗教的理由での差別や貧困問題などの現実的課題にたいする取り組みが進められていることに、学生たちは感銘を受けました。
とりわけ強い印象を学生に与えたのは、ソーシャルワーク?カレッジによる Salokha と呼ばれる活動の報告です。Salokha は、さまざまな宗教コミュニティ間の緊張を解決することを目的とし、 異なるコミュニティの人々どうしの会合、宗教対立の解消を訴える地区内でのデモンストレーション、路上の遊びをつうじた子供たちへの啓発、等々の活動を展開してきました。
さらには講義にくわえて、同カレッジの学生と交流する場も設定され、学生たちは活発に意見交換をすることができました。
【ダラヴィ地区フィールドワーク】
ダラヴィ地区はアジア有数の巨大スラム地域と言われていますが、またリサイクル産業や部品生産など、ムンバイにおける工業の中心地のひとつを構成しています。住民団体や労働組合も組織され、よく抱かれがちな「外部者からの救済を必要とする貧困地区」といったイメージとは異なる、活気に満ちた地域社会が形成されています。今回は、住民自治組織 PROUD のご案内で、学生たちはダラヴィ地区のなかに入ることができました。
PROUD からは、地区内のさまざまな経済活動、地区内外にまたがる住民の生活圏、住民と外部との関係などについて、折にふれて説明を受けました。また地区内の諸課題として、コミュニティ間の摩擦、低賃金、生活環境や衛生の問題などについてもご解説をいただきました。
ダラヴィの地域社会の多様な相貌を目にすることで、社会的多様性や異文化理解について、一面的でない複合的な捉えかたが必要であることを、学生たちは実感したといえます。
【諸施設?諸団体への訪問】
インドの社会的多様性の維持と社会問題の解決に取り組む、ムンバイ市内のいくつかの施設や団体を見学することもできました。今回、訪問させていただいたのは、以下の施設?団体です。
低所得者にも門戸を開き、ソーシャルワーカーによる医療相談やカウンセリングを運営している公立医療施設の、ムンバイ都立KEM病院(King Edward Memorial Hospital)。
ダラヴィ地区の女性の経済的?社会的な地位向上のため、工芸品の作成と販売を支援するNGO団体「Creative handicrafts」。
性差別の解消に向けて活動しているNGO団体「Akshara」。
地域社会における宗教的対立の克服に取り組むNGO団体「Khoj」、および地域団体「モハラ委員会」。
【学生のレポート課題】
参加した学生たちは、ツアー終了後に、インドにおける貧困問題や文化的?宗教的問題の解決方法を提案するレポートを課されています。
ツアーで得た知見を、どのようにレポートに反映するか、学生たちは四苦八苦しながら課題に取り組みました。 学生たちが見たダラヴィは、外部から支援の手を差し伸べられるだけの客体では決してなく、多様な生活基盤や文化的背景をもつ人々が、ときには互いに衝突しながらも共同で構成する、ダイナミックで能動的な地域社会であったからです。
報告の結びにかえて、本スタディツアーに協力していただいたすべての団体に、厚く御礼を申し上げます。
2014年秋期、本プロジェクトの一環として本学で開講された授業「アジアの学生と歩く、東アジア歴史的コンフリクトの現場2014」(担当:柏崎正憲)が、2015年1月6日から10日にかけての沖縄合同スタディツアーをもって完了しました。
本授業は、テーマにかんする学生の能動学習(active learning)の、つまり自主研究、プレゼンテーション、討論、フィールドワーク等の機会提供を目的としております。
また特色として、本学協定校である中国の寧波大学、韓国の韓信大学校および聖公会大学校をパートナーとして、中国、韓国の学生との国際合同授業という形式をとっております。
【目的と主題】
本授業の目的は、東アジアにおいても地域内または国家間の摩擦や緊張が高まるなか、現に起きている対立を無視しながらの交流や友好ではなく、問題の歴史的背景をきちんと学びながら、あるべき解決に向けての議論を重ねていく経験を、学生が積むことです。
この目的を踏まえ、2014年度は、東アジアの歴史的コンフリクトが凝縮された場としての沖縄を、学習テーマとして設定しました。
なお、本授業の企画?運営にあたっては、沖縄大学客員教授の又吉盛清先生、那覇市および名護市の関係者の皆さまに、多大なご協力をいただいております。
【事前学習】
全大学共通の導入講義を経て、三カ国?四大学の学生たちは、2014年9月から10月にかけて、沖縄および東アジアの近現代史について自主研究し、また11月から12月には、ビデオ通信機器で四大学をつないで相互プレゼンテーションおよび討論を行いました。
意見交換の場では、「琉球処分」と呼ばれた琉球王国の併合、沖縄戦の記憶、戦後の軍事基地問題や、また沖縄をとりまく諸国間の領土問題について、「日本史」の枠内では抜け落ちがちな着眼点を中国や韓国の学生から与えられ、日本の学生が気づきを得る場面もありました。
こうした学習過程をつうじて、東アジア地域における文化的交流の中心点としての沖縄(琉球)の像が、かいま見えてきたといえます。
本授業は読売新聞社の取材を受け、2015年1月7日、東京都?多磨にてご紹介いただいています。
【スタディツアー】
1月6日から10日、三カ国?四大学の学生たちが沖縄で一同に会し、又吉盛清先生のご指導のもと、フィールドワークをおこないました。
首里城などの史跡では、東アジア諸国と沖縄(琉球)との歴史的関係の痕跡を発見し、沖縄戦の施設や碑では日本への併合後における沖縄近代史の苦難と矛盾をたどりました。
また現地市民との交流の場をもつことをつうじて、軍事基地問題をめぐる沖縄の最近の情勢を目のあたりにしました。
初日の泊外人墓地訪問のさいには、又吉先生のお取り計らいと那覇市の皆さまのご協力を得て、墓前祭がを催されました。
墓地内で最も中国人墓6基のうち、1718年の墓は寧波出身者のものであるところ、今回、寧波大学の学生が墓地に訪問したという、約300年振りの同郷者の「再会」を記念する行事として、執り行われたものです。
フィールドワーク後、最終日前の夜には、学生たちは調査成果を共同レポートにまとめました。
互いの言語を用いながら、あるいは相手の言語の分かる友人に通訳を頼みながら、ホテルで遅くまで討論する姿が、印象的でした。
反映された論点は、沖縄世論と日本「本土」世論との隔たり、異なる文化への理解と敬意にもとづいた平和や共生、戦争の記憶を非当事者が継承していくための方法、対米関係をふくむ国際関係についての広い視野の必要性、等々。
異なる着眼点や意見にも互いに耳を傾けながら、なんとか一つの報告書にまとめるという、難しいながらも貴重な経験を、学生たちは得ることができました。
最後に、参加した学生たちが、今後も、沖縄への理解を深め、東アジア地域の歴史を見つめなおし、ありうべき将来について構想していくことを期待しつつ、本授業の完了報告といたします。
【本授業のメディア報道】
1月5日 沖縄タイムス朝刊 (6日?泊墓前祭告知)
1月7日 沖縄タイムス朝刊 (6日?泊墓前祭報告)
1月7日 読売新聞朝刊?東京都多磨版 (11~12月?相互プレゼンテーション)
1月9日 琉球新報朝刊 (8日?名護市辺野古視察)
1月17日 読売新聞朝刊?東京都多磨版 (本授業完了の報告)
2014年11月18日から22日にかけて、本プロジェクトの一環として実施された、スタディツアー「中ロ国境地域の政治?経済情勢を学ぶ」(引率?指導は本学教員の鈴木義一)について、報告いたします。
本事業の目的は、ロシアと中国の国境紛争の歴史的背景、紛争解決の過程、また解決後の国境地域の現状を調査することです。
そのために、2008年「東部国境画定に関する議定書」の署名により中ロの国境が最終的に確定するに至るまでの、長い紛争?係争の歴史の名残を見せる、両国の国境都市(ポグラニーチヌイ Пограни?чный および綏芬河 Suif?nhe)を訪問しました。
また、本学との学術協定校である極東連邦大学(ウラジオストク)にも訪れ、中ロ国境紛争やシベリア戦争?第二次大戦の記憶について、ロシアの学生と意見交換をしました。
秋学期?国際社会学部ユーラシア地域研究Bの履修学生、およびロシアに留学中の鈴木義一ゼミ学生、計12名が参加しています。
極東連邦大学の地域?国際研究学部の学生とのディスカッションは、11月19日に開かれました。
極東連邦大学からは、日本学科5年次の学生16名と、日本学科長のアレクサンドル?シュヌィルコ先生、日本語講師の森あやこ先生が参加し、極東地域における中ロ関係、日ロ関係の歴史と現状などをテーマに、報告とディスカッションを行いました。
議論を通じて、極東地域のロシア経済の現状、消費市場の動向とあわせて綏芬河ツアーがウラジオストクの住民にとってどのような位置を占めてきたか、ウラジオストクにおける中国のビジネス?パーソンや労働者の動向、ウラジオストク市民の対中認識、などについての情報を得ることができました。
また、極東連邦大学の学生が日本や日ロ関係の現状についてもっている認識を知ることもでき、有益な会合となりました。
20日から21日にかけては、国境のポグラニーチヌィを経由して、中国黒竜江省の綏芬河に行き、ロシア人旅行者を対象とした商店とロシア人旅行者の消費行動について、視察を行いました。
綏芬河に至る経路では、国境をはさんだロシア側と中国側の建物や住民の様子、中ロ国境を通じた経済関係の現状(中国側の一方的な経済発展)の様子を、実際に観察することができました。
また、国境を通過する中国人、ロシア人それぞれの様相や、緩衝地帯があり一定の緊張をともなう国境の状態、大型トレーラーが通関待ちをしている様子など、中ロ関係の現状がうかがい知れます。
綏芬河市内では、この街の中心地がロシア人買い物客を相手に発展してきたこと、しかし中心部をはずれると様相が一変すること、さらに、この街が人口?産業のいずれにおいても急拡大していることなどを、確認することができました。
また、以上のスケジュールの合間に、日露戦争、シベリア戦争、第二次世界大戦時の日ソ間の戦争の遺産である歴史的スポットを訪問し、日ロ関係史についての理解が深まりました。
こうして、スタディツアー「中ロ国境地域の政治?経済情勢を学ぶ」を、ユーラシア地域を研究する学生にとって非常に実り多い機会として、実施することができました。
2014年10月2日から15日、NGOピースボートの「ピースボート地球大学」2014年秋期特別プログラムとの提携により実施され、本学の学生5人が参加した、スタディツアー「多民族アジアにおける社会の結束」について、報告します。
本事業のキーワードである「社会の結束」(social? cohesion)は、とりわけ紛争後の社会が復興し、再び暴力や紛争に巻き込まれることなく、平和と豊かさを築いていくための、基本的な要素です。
この「社会の結束」を学ぶうえで、本事業では、以下の3点を目標として設定しています。
- 参加者がアジア各地の過去の困難な経験を見聞しながら、自分たちの現在の活動について知見と経験を共有する場を提供する。
- 社会の結束を高めるためにアジア各国で具体的な成果をあげている取り組みを若者たちが学ぶ。
- 若者という立場でこれからどのような活動に取り組めるか、特に2015年以降の国連開発目標における若者の役割についての議論を促す。
10月3日?4日には、コロンボ(スリランカ)にて紛争後の和解と再興について学習、討議しました。
その後は船上で、各訪問国の歴史?歴史?文化、紛争後の正義、紛争と女性、開発と民主化、社会的結束とメディア、企業の役割、といったテーマについて、一日平均2から3コマの講義を受け、また、スリランカ、ミャンマー、フィリピン、米国の学生と連日、討論しました。
またその間、9日にはシンガポールに寄港して移民問題の実地研修をおこない、12日?13日にはプノンペン(カンボジア)にて、内戦の克服、歴史の検証、民主化と持続可能な発展について学習しました。
15日に帰国した本学学生5名は、11月1日?2日の「多摩地域合同コロキウム」にて、スタディツアーの成果を発表しています。
紛争を克服する取り組みの実地での比較調査として、本スタディツアーは「コンフリクト耐性」育成プロジェクトの最初を飾る、実り多いツアーとなりました。
本プロジェクトの一環として、2014年10月2日から15日まで、スタディツアー「多民族アジアにおける社会の結束」に、本学の学生5人が参加しました。
この事業は、NGOピースボートの「ピースボート地球大学」2014年秋期特別プログラムとの提携により、実施されました。
内容は、スリランカをフィールドとした「紛争後の社会の復興と社会の結束」、ミャンマー情勢をもとにした「紛争を起こさせない社会へ」、シンガポールで考える「グローバル化と民主主義」、カンボジアでの取り組みを事例とした「正義、和解、そして平和構築へ」の、4プログラムから構成されています。
報告はただいま準備中です。