「楽しいインド案内人」インドの魅力を発信:大森美樹さんインタビュー
世界にはばたく卒業生
本学外国語学部インドネシア語を卒業後、旅行代理店や外資系証券会社での勤務を経て、現在はインド旅行のツアー企画会社を経営する大森美樹(おおもりみき)さん。大学生活の思い出や、今のお仕事のやりがいなどについて伺いました。
インタビュー?取材担当:言語文化学部ヒンディー語4年?村上梨緒(むらかみりお)(広報マネジメント?オフィス学生取材班)
――― 本日はお忙しい中お時間を取って下さりありがとうございます。今回は大学時代の思い出や、今までそして現在のお仕事についてお話を伺えればと思っております。まずは多くの東京外大生が聞かれる質問から。東京外国語大学、そしてその中でもインドネシア語科を選んだ理由を教えてください。
もともと外国について学びたいという気持ちが強かったため、英語に力を入れている高校に通いました。その延長線で国際関係について学びたいと思い、かつ英語と国語が得意な自分に合いそうな大学ということで東京外国語大学を選びました。「折角なら日本ではマイナーな言語を学びたい」と考え、バリ島など有名な観光地があるインドネシアだったら旅行好きの自分に合うかもしれないと思い、決めました。
―――そんな契機で始まった大学生活の中で、特に印象に残っている出来事は何ですか。
やはり外語祭は思い出深いですね。私が在籍していた北区西ヶ原キャンバスの時代は、教室を改装して料理店を開催していました。みんな気合が入っていて、先生からご助言をいただくこともありました。1年生の時は語科料理店をして、その後も毎年有志で料理店を出店しました。
2年生の語劇では主人公を演じました。インドネシア語が得意だったというわけではなく、実は専攻語の単位が危うかったため、主演を務めれば向上に繋がると思い立候補したのです。同級生のお父様にインドネシア語が堪能な方がいて、その方が脚本を書いてくださりました。周りからセリフの意味を教えてもらいつつ丸暗記したのも、今では楽しかった思い出です。
―――卒業後は旅行会社に就職されたとのことでしたが、旅行会社を選んだきっかけはどのようなことからでしょうか。
もともと就職するつもりはなくフリーライターとして働くつもりだったのですが、インターネットを通じて交流があった東京外大の卒業生の方から紹介された旅行会社に入社し、南アジア地域の配属としてインドやブータンなどを案内する添乗員として1年ほど働きました。南アジア旅行と言えばタージマハルなどを想像される方が多いかもしれませんが、私が働いていた会社は、観光地ではない遺跡や地域など、個人ではなかなか行けない秘境をメインにした旅行代理店でした。
―――南アジア、その中でも特に秘境となると苦労も多そうですが、特に大変だったことや思い出深かったことはありますか。
やはり添乗員として案内することは大変でした。ツアー旅行に参加される方は既にお仕事をリタイアされた60代以上の方が中心だったため、そういった違う世代の方と話を合わせることに苦労しましたし、人を案内するとなると常に緊張との戦いでした。また、行き先が秘境だったため日本語ガイドの方がおらず、添乗と通訳両方の仕事を担当するのも大変でした。特に通訳に関しては固有名詞が多かったため、事前調査などの予習が必須でした。そのため、ツアー中の約2週間は寝る間も惜しんで翌日の予習に充てていました。恐らく大学時代以上に勉強していたと思います。そのようなツアーを1~2か月に1回の頻度で行っていたため、日本にいないことの方が多かったです。そんな大変な一面もあるお仕事でしたが、学生時代は行けなかった場所や1人では行けない場所に旅行できたこと、そして添乗員兼通訳という仕事の経験値を積めたことはとても良い経験です。
―――当時訪れた中で印象深い場所はありますか。
いろいろな場所へ行きましたが、インドのマハーラーシュトラにあるアジャンタ、エローラやその他の石窟寺院群は印象に残っています。ガイドブックはもちろん、現地の地図にも載っていないような石窟寺院にも行ったのですが、人の手で長い時間をかけて建立したという話に感銘を受けました。
―――そのような貴重な場所に行けるのはお仕事だからこそですね。そのお仕事の中で、大学時代の経験が活きたと感じたことはありましたか。
海外渡航に対する抵抗が低いのは東京外大という環境にいたからこそだと入社後実感しました。最近はコロナ禍で難しいかもしれませんが、私が学生のころは「夏休みはバンコクで会おう」なんて会話をしていたくらい渡航が身近でした。また、地域研究をする人にとって最高の教員?資料が揃っている環境で英語や専攻語を学び?話せることは大きな強みなのだと卒業してから改めて実感しました。
―旅行会社でのお仕事は1年ほど続けたと先ほどおしゃっていましたが、その後はどのようなお仕事をしていたのでしょうか。
激務だったこともあり、社員としては1年で退職し、インドやタイを中心にいろいろな国で暮していました。その時期は務めていた会社の専属添乗員として繁忙期だけお仕事をしたり、フリーライターのお仕事をしたりしていました。また、イギリスに移住した際には、大学のディプロマコースに通い日本語教師の資格を取得しました。多くの場所で多くの経験をしましたが、当時の自分が何をしたかったのか今でもわかりません。ずっと「ここではないなにか」を求めて流され続けていた気がします。そんな風に各国を巡った後、日本に戻り外資系証券会社で働き始めました。
―――どのような契機で証券会社に入社したのでしょうか? 添乗員とは大きく異なる仕事ですが、そこでも何か印象的な経験や出会いはありましたか。
その証券会社は、英語力を買われた形で運よく入社することができました。今までと大きく異なる環境に移ったため、私自身の心の変化も大きかったです。また、業界に関する知識がない点や、外資系のためか人の入れ替わりが激しかった点が大変でした。ですが、世界中にいる社員とともに案件に取り組んだことなど良い経験もありました。そんな社員の1人であったインド人女性とはあるエピソードがあります。私も彼女も当時結婚し子供がいたのですが、お手伝いさんがいない中仕事と子育てを両立させていることに驚かれたことがありました。国や地域によって働き方や生活スタイルも変わるのだと実感しましたね。その証券会社で10年ほど働いた後2016年に退職し、今の会社につながるようなツアー事業を始めました。
―――証券会社でのキャリアウーマン生活から再び観光に関わる仕事に戻ったのは、どのような経緯なのでしょうか。
ツアー事業を始めた理由は、偶然が重なった結果でした。日本でも大ヒットした『バーフバリ』シリーズの撮影地を巡った様子をインターネットで公開したところ大反響を得たので、映画ファンの方が参加する撮影地巡りを始めたのがきっかけです。
―――インド映画がつないだ偶然の出会いによるものなのですね。同じ観光業といっても会社員時代と今ではいろいろと違いもあると思われますが、その点について伺いたいです。
今は企画?広報?手配?添乗とすべてを自分で担っている点が1番大きな違いですね。企画も担当する側になり、企画することの大変さを痛感しました。大変なことも多かったため当初は1回で終えるつもりだったのですが、要望が多かったので撮影地ツアーは6回行いました。撮影地ツアー以外にも工芸品を見に行くツアーや古典舞踊鑑賞ツアーも行っていたため、2018,19年は1~2か月に1回はインドを訪れていましたね。他の違いとしては、客層の違いが挙げられます。今行っているアンジャリツアーのお客様はインド映画ファンが中心のため、インドに対する熱意や尊敬を感じます。また、私自身インド映画ファンなので、共感できる点も多くて楽しいです。そういった違いはありますが、知識や経験が役立つ場面など添乗員時代に培った部分が活かせる場面も多いです。
―――やはり添乗員の経験があるのは大きな強みなんですね。
そうですね。添乗員の経験だけでなく、東京外大での経験も強みにつながっています。言語だけでなく言語を使う人のバックグラウンドに対しても目を向けることができるのは、東京外大での学びが大きかったかなと思っています。学生時代に自分で旅行した経験やインド映画を観た経験も今につながっていて、振り返ると無駄なことは何一つありませんでした。そういった経歴もですが、そもそもインドのツアーができる女性添乗員が少ないため、唯一無二の存在として狭く深い需要に応えられている点も強みですね。
―――お話を伺って、臆せず新たなことに挑戦している印象を受けました。そのような挑戦そして決断ができる原動力はなにかありますか。
自分から挑戦していくというより、出来事や挑戦がやってくるという表現の方が適している実感があります。しかしながら待っているだけというわけではなく、自分から情報を発信することで、チャンスがあれば飛びつけるような姿勢でいつもいることができました。そのおかげで、人生において貴重な転換点を逃さずに掴めたのかもしれません。
―――そんな風に挑戦と向き合ってきた大森さんが今後挑戦していきたいことはありますか。
ツアーのお仕事に留まらず、旅行グッズ販売など今までの知見を活かした活動もしていけたら素敵ですね。もちろんツアーを再開させたい気持ちもありますが、世界情勢により旅行代も高騰していますから元通りになるまではもう少し時間がかかるかもしれません。
―――旅行から派生してどんどん新たな展開を広げることができたら素敵ですね。最後に、在学生へのメッセージなどあればお願いします。
今の状況では難しいかもしれませんが、可能なら学生の内にどんどん旅をしてほしいです。東京外大の学生さんは言葉を学んでいるという専門性があるため、他の人とは見える景色も変わると思います。言葉は武器にも守りにもなりますので、そこは誇りを持ってほしいです。折角なので、最後はインド映画『ガリーボーイ』のセリフで締めさせてください―” Passion follow karo paisa aayega ”、情熱を追ったらきっと成果に繋がるはずです。
―――大森美樹さん、本日はありがとうございました!
インタビュー後記
「東京外大での学びを通じて、他の言語を使う人の背景に目を向けることが出来るようになった」というお話が印象に残っています。大学卒業後、専攻とは無関係な進路を選ぶ人も多いかもしれませんが、東京外大での学びは直接ではないにしろ影響を与え続けてくれるのではないでしょうか。大学でのご経験を活かしつつ挑戦を続ける大森さんを見て、これから私も様々な経験を積みたいと刺激を受けました。大森美樹さん、今回はお忙しい中お時間を取って下さりありがとうございました!今後のご活躍をお祈りいたします。
取材担当:村上梨緒(言語文化学部ヒンディー語4年)