「絵本『もしぼくが鳥だったら』とガザの子ども図書館」展 記念 ?ゆぎ書房 前田君江さんインタビュー?
世界にはばたく卒業生

2025年4月14日?4月25日まで、本学附属図書館にて、絵本「『もしぼくが鳥だったら』とガザの子ども図書館」展が開催されています。
今回インタビューにご協力いただいたのは、翻訳絵本『もしぼくが鳥だったら:パレスチナとガザのものがたり』を出版した「ゆぎ書房」の代表、前田君江(まえだ?きみえ)さん。前田さんは、1991年に本学の外国語学部ペルシア語学科に入学され、2004年に博士号を取得。現在は翻訳絵本の出版を手がけるほか、絵本を用いた国際理解教育研究もされています。
絵本がもつ無限の魅力の一つには、「学びや好奇心のきっかけを差し出してくれること」があると語る前田さん。本学での学びや、翻訳絵本の出版、今回の展示会について、お話を伺いました。
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取材担当 大学院総合国際学研究科博士前期課程2年 星野 花奈(広報マネジメント?オフィス 学生広報スタッフ?学生ライター)
――まず、前田さんのご経歴についてお聞かせください。本学での学びやご経験についても、お聞きできたらと思います。
1991年に東京外大のペルシア語学科に入学しました。ペルシア語が学びたくて大学に入ったのですが、ペルシア語のことも、ペルシア語を公用語としているイランのことも何も知りませんでした。「ペルシアって聞くとロマンチックだけど、イランって聞くと何か怖いなあ」とありがちな誤解をしていました。
大学に入って授業を受けるうち、イランの人たちは人懐っこくて楽しそうな国だということも分かってきて、いつか行きたいと思うようになりました。授業で聞いた面白い話、イランのイメージアップにつながる話を長期休みに帰省するたびに両親に伝え、将来行く時に反対されないよう準備していましたね。
また、ペルシア語の王道は「詩」であるらしいということがわかってきましたが、古典詩が素晴らしいと言われると、かえって勉強する気にはなれず、古典の伝統を打ち破った「新体詩の祖」と呼ばれる詩人に興味をもちました。大学院の修士課程?博士課程へと進み、新体詩や散文詩の詩人を研究テーマとしました。1995年に初めてイランへ行き、1998年から約2年間イランで暮らしました。
ペルシア語は一通り学んでいたのですが、現地でいざ話そうとすると、「これを言っていいのかな? これは言わないほうがいいのかな」と迷っていることが多くて、最初はなかなか言葉が口から出てこなかったんです。でも、イランの人はおしゃべりだし、外国人でもおかまいなく気になることをどんどん尋ねてきます。街やお店で出会った人も、乗り合いタクシーで同乗した人も、運転手さんも、誰もかれもが話しかけてきて、ホームパーティーにもよく行ったし、とにかく一日に何度も自分自身と日本についてスピーチをしていました。なにを言おうかと迷っている暇もなく、話すのが恥ずかしいとかいうストッパーも外れ、「頭に浮かんだらすぐに口から言葉を出す」という回路が鍛えられました。日本での話し方もこの時期に変わったと思います。イランでは、街中の人たちすべてが言葉の先生であり、人生の先生だったと思います。
帰国後に日本学術振興会?特別研究員を経て、2004年に博士論文を提出?受理されました。テーマは、「アフマド?シャームルー(1925-2020)の散文詩におけるリズム構造の分析」でしたが、生き生きと研究しはじめたのは、むしろそのあとでしたね。
このころ大きかったのは、2007年から東京大学教養学部で非常勤講師としてペルシア語の授業を担当し始めたことです。それまでペルシア語学科や中東研究の中にいて、イランやイスラームについて詳しい人たちに囲まれていました。イスラームについて世間一般ではあまり知られていないことを、そもそも知らなかった。
でも、東大の授業は、当時とても履修人数が多くて(初回300人いたことも!)、理系の学生さんも多かったんです。中東に興味ある人もいたけれど、とにかく語学好きという人、進学振り分けのために高得点狙いで受講する人などもたくさんいました。語学の授業だったので、イランの話はすべて「雑談」だったけれど、そもそも普通には行けない怖い国だと思っている学生さんもたくさんいたので、「イスラームとは」とか「イランの国会体制とは」という話をしても等身大の姿は伝わらない。イランでの生活や人との関わりで体験したり見聞きしたできるだけくだらない話をよくしました。それでも学生さんからは、「イスラーム教徒が冗談を言うとは思わなかった」というコメントが寄せられたりしました(笑)。
――前田さんは「ゆぎ書房」という翻訳絵本の出版社の代表をされていますが、絵本に注目したきっかけはあったのでしょうか。
博士論文のあと研究テーマにしていた、イランの現代詩人がきっかけでした。1960年台に一世を風靡したアフマドレザー?アフマディーという詩人で、2000年台に入ってから再び若者たちとの間で、彼の詩がちょっとしたブームになっていました。テヘランの彼の家を訪れた際に、「ぼくが(文を)書いた絵本だよ」と山積みの絵本をお土産にいただいたのです。そこからイランの絵本、トルコの絵本、アラビア語の絵本、関連地域としてジョージアの絵本も、現地の本屋や出版社を回ってリサーチしていました。当時、自分で取得していた若手研究の科研費で、詩人研究から絵本研究にもテーマを拡大し、さらに、現代中東文学研究のプロジェクトでも、ふわふわと絵本を追いかけていく私の研究を許していただきました。
ペルシア文学研究をしていて、苦手だったことのひとつが、書き手?訳し手も、そして読み手も、みんな研究者だったりペルシア語や中東を学んだり関わったりする専門家ばかりであるということ。でも自分は、もっと日常生活に近いもの、誰もがアクセスできる何かを提供したかった。あと10年遅く生まれていたら、インターネット上で展開することを目指したかもしれませんね。また、この頃、自分の子どもたちがまだ小さかったので、「作品」としての絵本ではなく、「生活必需品」としての絵本に接していたことも大きかったと思います。
中東を歴訪したにも関わらず、最初に企画に持ち込んで出版した絵本は、いずれもAmazonで出会った英語絵本でした。『ラマダンのお月さま』(解放出版社)や『イードのおくりもの』(光村教育図書)は、イスラーム文化について解説するのではなく、楽しさや「わくわく」が伝わる作品であることを重視しました。『イードのおくりもの』は、いくつかの都市で読書感想文コンクールや読書感想画コンクールの課題図書にも選んでいただきました。『ラマダンのお月さま』は、日本で外国籍の子どもたちの受け入れや学習支援に関わる方たちにも読んでいただき、雰囲気がよく伝わってくると感想をいただいたのが嬉しかったですね。

アイスランド女性の9割が参加した1975年の「女性の休日」(ストライキ)を描いた絵本(2025/10)ほか、アイスランド絵本も多く出版している。
――次に、絵本『もしぼくが鳥だったら:パレスチナとガザのものがたり』の内容と、出版の意図や経緯についてお聞かせください。
2017年頃、難民を描いた絵本の収集プロジェクト[1]に関わっていたときに、中東絵本の翻訳者?片桐早織さんに、ご相談したのがきっかけでした。「パレスチナの問題を描いた、アラビア語の絵本を紹介してほしい」と。『もしぼくが鳥だったら』(Lau Kuntu Tairan)は、片桐さんが教えて下さった作品のひとつで、パレスチナとイスラエルで続いてきた占領の起点とも言える「ナクバ」(「大災厄」、「大悲劇」)をやわらかく率直に描いた絵本でした。
[1] 日本国際理解教育学会の特定課題研究「難民問題から国際理解教育を問う」(2016-2018年度)?絵本タスクチーム

でも、そもそもこの作品を出してくれる出版社は見つからないと思いました。実際にこの絵本を出版しようと思ったのは、2020年に自分で出版社を創業して以降、そして、2023年10月のハマスのイスラエルに対する越境攻撃、それに乗じたイスラエル軍の攻撃が激しさを増してからです。
絵も優しくて、分かりにくいと思われているこの問題の理解を助けてくれると感じたのです。でも、この絵本の表現をより深く読み取れるようになったのは、鈴木啓之[2]さんが書いてくださった巻末解説を何度も読み返し、また、同絵本の紹介を兼ねた講演依頼で皆さんにお話しするようになってからです。
[2] 東京大学大学院総合文化研究科スルタン?カブース?グローバル中東研究寄付講座特任准教授。専門は、中東地域研究、国際関係論。本学外国語学部の卒業生(2010年卒)でもある。

アラビア語絵本を日本語訳するときの問題や「未来の方向」と言われる絵の進行方向について、参加者に一緒に考えてもらう。
ーー次に、今回開催される「ガザの子ども図書館展」の内容と、展?開催の意図や経緯についてお聞かせください。
絵本『もしぼくが鳥だったら:パレスチナとガザのものがたり』を出版する際、クラウドファンディングを実施しました。この絵本を出版して、本当に読んでもらえるのか、受け止めてもらえるのかという不安と、小さな出版社であるため、出版時の事前プロモーションがいつも弱いので、クラウドファンディングのプロジェクトページが一つの情報拠点になるといいなという期待からでした。ただ、ちょうどイスラエルによるガザへの攻撃が激しく、虐殺が進行しているような状態であったため、「のん気に絵本なんかを出版するためにお金を集めている」と思う部分もありました。
悩みに悩んだ挙げ句、自分のできる唯一のこと(絵本の出版)を決めたのですが、同時にアラビア語原書の出版社(アラブ首長国連邦シャルジャ首長国のカリマート社)が、今回の展示でも取り上げた「ガザの子ども図書館」IBBY国際児童図書評議会のパレスチナ支部によるガザの2つの図書館に、売上利益の全額を寄付していたことも頭に引っかかっていました。同社は産油国の王女が経営する出版社です。ゆぎ書房に同じことは到底できないなと考えたときに、クラウドファンディングの「社会的リターン」として、「ガザの子ども図書館」展を考えました。ちなみに、「社会的リターン」というものは本来ありません。勝手に創り出した言葉でありアクションです。

(アラブ首長国連邦シャルジャ首長国)
絵本の邦訳版を出版前に、絵本の読みあい?語りあいの会を何度か開いたときに、絵本の原作者さんや原書出版社とも縁のある「ガザの子ども図書館」のことを参加者の方々にお話する機会がありました。すると、「ガザに図書館があるなんて/大学があるなんて知らなかった」(そして、それが爆撃されたことも知らなかった)という言葉を多く聞きました。中には、「ガザの司書さんって字が読めるんですね」と話す人もいました。中東に関わっていると、こういった反応に合うことは日常茶飯事です。以前はこういう反応や偏った理解に出会うとイライラすることもありましたが、様々なメディアの情報が溢れるなかで、ものごとと一から出会う機会を作り出したい。そして、絵本をはじめとして、こういう発見をしてもらえるような(知識や関心「ゼロ」を「1」にしてもらえるような)素材を提供することが自分のミッションだと思っています。

ガザの子ども図書館展も、第一の目的は「ガザにも図書館があったんだ」ということを知ってもらうことです。(パレスチナに関心を向けてきた方から見れば、ガザで図書館や教育施設?文化施設がむしろ積極的に攻撃対象とされていることは当たり前かもしれません)さらに、それがどんなに楽しい図書館だったか、司書さんたちがどんなに図書館活動に心を砕いていたかを知ってもらうことです。
パネル展の写真と内容は、いずれもIBBY Palestineから許諾を得て、同SNSやブログの投稿写真と文章の要約翻訳から成っています。図書館なのに、子どもたちと動物園行ったり、ドラマセラピーと呼ばれる演劇活動をしたり、サマーキャンプをしたり。それらはいずれも、軍事攻撃にさらされるなかで日々を過ごし、身近な人を失う子どもたちの想像を絶するような心理的ストレスを緩和する目的で行われています。そもそもIBBYについては、パレスチナ支部を創設すること自体に大きなハードルがありましたし(IBBY本部からは当初「イスラエルと一緒に活動すればいいんじゃない?」と言われるなど)、図書館建設も、ガザが封鎖されたなかでの図書館運営も苦難の連続でした。そうしてようやく建設し、やっとの思いで運営してきた2つの図書館も、2014年のイスラエル軍の攻撃で、一館は全壊、もう一館は大きく損壊しています。その後、国際的な支援も受けつつ再建し、所蔵数6000冊というところまで整備しましたが、いずれも2023年10月以降の攻撃で破壊されました。これらの内容を全11枚のパネルにし、全国を巡回中です。

――絵本や図書館がもつ力や魅力には、どんなものがあると思いますか?
絵本と関わりの深いのは、生活圏の中で活用される公共図書館、そして、とくに小学校図書館ですね。一般書の出版社は図書館を商売敵だと思っているが、児童書出版社は図書館をビジネスパートナーだと思っているというようなことがよく言われます。予算で購入して下さるという点でも図書館は重要ですが、同時に図書館の司書さんには絵本や児童書が大好きですごく勉強されていて、新刊情報にも敏感な方たちが非常に多いです。良い絵本を創れば、司書さんたちが必ず注目してくれる、という信頼感のようなものがあります。今回の絵本は、大学図書館でも多く入れて下さっています。学びの素材?資料としても有効な絵本であると思っています。
絵本の魅力は無限にありますが、私が注目するもののひとつは、「学びや好奇心のきっかけを差し出してくれること」です。昨今はネットも含め、情報が多すぎて、自分が出会う情報の大半を「流す」「無視する」能力すら求められます。学びや知ることの「とっかかり」や「きっかけ」のひとつは、出会いです。絵本はページ数と情報量が圧倒的に少ないため、それぞれにいわば固有の切り取り方があります。お話の主人公の視点だったり、フォーカスする「モノ」だったり、表現方法だったり。それらの固有の切り取り方が「とっかかり」となって、私たちの関心や好奇心の扉を開いてくれます。一冊の絵本の持ち味は、個々の人間の持ち味と同じです。
――これまでの活動や企画を通しての学びや、それらに本学での学びがどう繋がっているのか、お聞かせください。
『もしぼくが鳥だったら:パレスチナとガザのものがたり』についての絵本トークをあちこちでさせていただいていますが、パレスチナについては本当のところ、自分には分かるわけがないし、何もできることは無いと、どこかで思ってきました。理由は、パレスチナ/イスラエルでの滞在?生活経験が無く、アラビア語を通じての言語経験が自分には無いからです。(そうは言っても同じ中東なので、学生時代からなじみがあるのも確かですし、旧キャンパスの図書館や生協書店でよくパレスチナの本も読んでいましたが)
本を通して学ぶ情報は重要ですが、生活経験を通してしか入ってこない情報と感覚があることを東京外大では体験しました。大学にはいろいろんな機能があると思いますが、一生を左右する時期に4年間稼働し、作用する大きな体験装置だったようにも思います。大学に入らなくても言語は学べるしYouTubeだけでも、きっとかなりの学習ができます。でも、結局は人から学んでいるものです。イランでは街中の人たちが言葉の先生であり、人生の先生だったと言いましたが、大学の先生方も学識において優れているというだけでなく、おひとりおひとり強烈な味わいと視点を備えた「人間」だったなと、今になって強く感じます。
展示会?トークイベント情報
「絵本『もしぼくが鳥だったら』とガザの子ども図書館」展
会期:2025年4月14日(月)?4月25日(金)
会場:東京外国語大学 附属図書館2F ブラウジングコーナー
(観覧無料、入館手続き不要。開館時間中はいつでもご覧いただけます)
(関連企画)
「絵本トーク「『もしぼくが鳥だったら』とガザの子ども図書館展」
―専攻地域のこと、子どもたち?大人たちにどう伝えますか? ―」
日時:2025年4月25日(金) 16:00?17:00
場所:東京外国語大学 附属図書館2F ブラウジングコーナー
(参加費無料)
お申し込みはこちらから https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfgx_JuWQrQ9jZCF2_hCUCm5Cv0Bk-VmqKhDJpFjC3B8zfgrQ/viewform