CAAS教員から学ぶ日本
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まず「CAAS」とは?
「アジア?アフリカ研究?教育コンソーシアム(Consortium for Asian and African Studies)」の略称です。
アジア?アフリカ研究?教育コンソーシアム(CAAS)は、アジア?アフリカ地域を対象とする研究で世界のトップレベルにある5つの高等教育機関が、アジア?アフリカ地域を対象とした研究?教育活動について連携を強めるため、2007年3月に設立されました。設立当初は東京外大を含む5機関でしたが、現在では7つの機関で構成されています。
グローバリゼーションの進行する今日、アジア及びアフリカの占める役割は重要性を増しつつあります。しかし、これらの地域は、極めて多様性に富んでいることから、一つの大学や研究機関のカバーする範囲には自ずと限界があり、幅と厚みのある研究?教育を行うためには、複数の機関による連携が必要とされていました。CAASでは、アジア?アフリカ研究において長い伝統と高いレベルを誇ってきた大学が、相互の結びつきをより強固にし、国境を越えた協力体制を築くことにより、世界のアジア?アフリカ研究に新たな広がりをもたせて行くことを目指しています。
参加研究教育機関
コロンビア大学(米国)
ロンドン大学SOAS(英国)
ライデン大学(オランダ)
INALCO:仏国立東洋言語文化大学(フランス)
シンガポール国立大学(シンガポール)
韓国外国語大学校(韓国)
東京外国語大学(日本)
本学は「国際的な視点から見た日本語教育ならびに日本研究分野における教育研究体制を確立するとともに、我が国および国際社会?文化に関する研究成果を国際的に広く発信する」ことを1つのミッションに掲げており、2015年度より本学が特に取り組む機能強化事業として、国際日本研究を推進しています。
その取り組みの一環として、このCAASで築かれた連携体制を活用し、卓越した日本語?日本研究の拠点ユニットを招致することにより、国際的な日本研究者を養成すると同時に、本学を国際的な日本研究のプラットホームとして確立しています。
CAAS招聘教員の先生、どんな日本研究をしているの?(インタビュー)
CAAS招聘教員の方々に、先生方が行っている日本研究について伺いました。
「民謡を通して日本を知る」
デイヴィッド?ヒューズ先生(ロンドン大学SOAS)
私の研究分野は、ジャワ島の伝統音楽と日本の伝統音楽です。特に日本の民謡については、イギリスのロンドン大学アジア?アフリカ研究学院(SOAS)で30年近く研究をしてきました。これまでにもフィールドワークなどで何度も来日しています。今回はアジア?アフリカ研究教育コンソーシアム(CAAS)のプログラムで東京外大に招かれ、学生向けの授業を受け持っています。
研究の一環として、私自身、民謡の演奏もします。三味線はかれこれ30年のキャリアになりますし、篠笛や太鼓も嗜みます。もちろん唄のほうも。以前NHKで放映していた番組「民謡をあなたに」で喉を披露したこともあるんですよ。授業では、国立音大から三味線の先生を招いて、実際に民謡の演奏を聴きながら、その歌詞に込められた意味や背景にある日本の伝統や風習などを学べるようにしています。また、授業内で沖縄の三線を学生に教えることもあります。
「民謡は心のふるさと」と言われるように、民謡には昔からの日本人の生活や習慣、さらにはその思考までもが表れています。その種類は、お祭りの唄、盆踊りの唄、旅芸人の唄などさまざまですが、特に注目したいのが作業唄です。例えば北海道のソーラン節の一部はニシン漁での網引き唄ですし、鳥取の貝殻節はホタテ貝漁の唄です。作業を効率的に進めるために、あるいは仕事の苦しさを紛らわせるために、当初は無伴奏で声を揃えて唄っていたのでしょう。それが、三味線や笛、太鼓などの伴奏が付き、さらには舞台で演奏されるまでに洗練されていったという経緯があります。
大学生をはじめ、現代の日本の若者の多くが民謡についてあまり知らないのはとても残念なことです。国際化で目を海外に向けるのも大切ですが、一方で自分の国の文化や風習について知ることも他の文化を理解する上でとても大切です。私が在籍していたSOASでは、学生の半分以上が非英国人であり、教授陣も3分の1がイギリス国外から来た人たちでした。そこまでいかなくても、東京外大はおそらく日本では最もダイバーシティーが進んだ大学ではないかと思います。そうした環境に身を置いて、多様な視点から、日本のこと、世界のことを深く学んでほしいですね。
(2015年秋?冬学期)
「映画を通して考える日本の歴史と未来」
イリス?ハウカンプ先生(ロンドン大学SOAS)
私はイギリスのロンドン大学アジア?アフリカ研究学院(SOAS)で日本映画を研究していたのですが、アジア?アフリカ研究教育コンソーシアム(CAAS)のプログラムで、2015年から東京外国語大学にやってきました。日本映画の中でも1920年代から50年代が主な研究領域で、特に映画監督の伊丹万作に注目しています。
『お葬式』(1984)などで有名な伊丹十三監督の父親としてご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、実は伊丹万作自身、俳優や脚本も手がけるほど多才で、非常に優れた人物でした。徹底したリアリストであり、新聞や映画雑誌への寄稿を読むと、当時の社会情勢を冷静に分析し、的確な指摘をしていることがわかります。敗戦翌年に発表されたエッセイ「戦争責任者の問題」(1946年8月)では、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」と主張し、大きな議論を呼びました。
映画監督としては、寡作だったことに加え病弱で、肺結核を患い、1946年9月に46歳で夭折してしまったため、作品数は多くないのですが、どれも人気がありました。代表作のひとつで、江戸時代の伊達騒動を下敷きにした『赤西蠣太』(1936年)では、片岡千恵蔵が一人二役を演じており、エンディングではワーグナーの「結婚行進曲」を流すなど冒険的な試みもされています。
この映画が公開された1936年は、ちょうど満州事変を経て、軍部が中国での戦線拡大を画策していた頃。映画では、そんな軍国主義への批判ともとれるシーンも見られます。映画というのは、当時の社会世相を反映すると同時に、それに対する製作者の考えや意図を読み取ることができます。戦時中の映画を研究することで、人々がいかに戦時を生き抜いたのか、また戦時下のメディアの役割とはどのようなものだったのかを探ることが私の研究テーマでもあります。
現在、シリアの内乱を発端とした難民危機がヨーロッパを襲っています。ISの動画を使った宣伝政策や、難民受け入れを渋る国々の報道などを見ていると、第二次世界大戦直前と同じ状況が起きているのではないかと心配になります。
4月からの授業では、日本の戦争映画3本を題材に、細かな台詞やカメラのアングルなども含めて製作者の意図を探るような内容にしていきます。メディア、政治、社会の相互作用を検討?理解することをつうじて、日本の歴史?現在?未来についてあらためて考えるきっかけになれば幸いです。
(2015年秋?現在)
「異文化コミュニケーションを通して韓日間の理解を深める」
朴容九先生(韓国外国語大学校)
1.研究内容及び東京外大での講義
最近、韓日関係がかなり冷え込んでおります。「歴史と領土」問題のせいと思われますが、その発端は1982年に起きた歴史教科書歪曲の影響だと記憶しています。当時、大学2年生だった私はなぜこんな問題が起きたのか疑問を抱きました。後日、答えを追求する過程で史実と解釈という両面を考えるようになりましたが、結局、史実より解釈をめぐる対立だという結論に至りました。議論の時、様々な資料が動員されますが、同じ資料について正反対の解釈が行われます。その根底には相互不信感が募っていました。ゆえに私は韓日間の相互認識について関心を持ち、両国間の相互認識のずれとその背景を研究してきました。さらに、この問題は中国を踏まえた東アジア的観点から研究しなければならないと思い、「韓日中三国の相互認識」を集中講義の題目としました。
もう一つの講義は「21世紀の日本人論」です。韓日間の相互認識を研究するうちに、韓国人と日本人は「似て非なるもの」があると切実に感じられました。よって、日本人の考え方や行動様式を取り扱う日本人論に自然と目が向き、のめり込んでしまいました。特に「21世紀」という言葉を使った理由は、「日本人は集団主義的だ」という従来の日本人論のパラダイムは役目を終えたと思うからです。現在は「韓日中三国の相互認識」より「21世紀の日本人論」に集中しております。しかしながら、いずれにせよ韓日間の誤解を払拭し、理解を深めることによって両国間のコミュニケーションを円滑に進めたい目的は変わりません。
2.日本発信力の強化のため必要なもの
日本の歴史をたどると外来文化の受容とその土着化の過程が顕著に見られます。主に古代までは韓国や中国、近代まではヨーロッパ、現代ではアメリカから色んな文化を受け入れ、見事に日本独自の文化を創り出しました。日本はかつてない経済大国としてそれにふさわしい豊富なコンテンツも兼ね備えています。だから国際社会における日本の発信力を強化しようとする動きは当然のことでしょう。しかしながら発信力を高めるために重要なのは発信のコンテンツです。なぜなら送り手がいくら発信しても、発信力が高まるか否かは受け手の選択によるものだからです。したがって受信と土着化による日本独自の文化の創出という得手を上手く活かしながら、世界にも通用する発信のコンテンツを磨く必要があります。日本と世界の交信という面で世界有数の研究者が一堂に会するCAASユニットのご活躍も期待するところです。
3.東京外大および学生に対しての印象
そんなに広くは見えませんが輪のようにつながっている建物の配置はとても印象深かったです。お陰様でにわか雨のある日、雨に降られず研究室から宿舎の国際会館まで帰ることができました。世界各国から来ている数多くの留学生にも会えるし、ますます増えるアウトバウンドの留学生数においてもグローバル大学へ変貌している様子が感じられます。ゼミの院生はみんな海外生活の経験を共有しているし、さらにそんな経験にもとづいた自分の考えを活発に披露してくれました。図書館でじっくりと勉強する学生もいる反面、グラウンドで多様な運動を楽しんでいる学生も目立ちます。まさに国際色豊かな小さくて強い「グローバル強小大学」ではないでしょうか。
4.海外からみて、日本のいいところ、足りないところ
韓国人の対日イメージには「日本人」は「親切、勤勉、礼儀正しい」だが、「日本国」は「軍国主義、国家主義、覇権主義」だという両面性が併存しています。日本国より日本人にもっと親近感を感じる点で同感する次第です。ただ、専門分野の日本人論から一言いわせてもらいますと、言葉よりムードによるコミュニケーションを好む日本人の高文脈文化は外国人にはちょっときついかもしれませんね。
(2016春?夏)
「歴史の探求から日本を知る」
イーサン?マーク先生(ライデン大学)
コロンビア大学で博士号(近代日本史学)を取得した後、オランダのライデン大学で教えています。私の主な研究テーマは、近代日本と第二次世界大戦前後の帝国の経験についてです——日本やアジア全域でのこうした経験の遺産に加えて。特に興味を持っているのは日本占領下のインドネシアの経験(1942-1945)についてで、博論でも2017年に出す新著(The Japanese Occupation of Indonesia: A Transnational History) でも探究したのは、戦時下での複雑に入り組んだ日本人とインドネシア人の相互作用と、日本が占領する以前?最中?以後の変容(進化)evolution です。私が焦点を当てるのは、軍人でもないのに軍のプロパガンダを担うことになった「文化人」であり、彼らと共に、日本が「アジアを西洋植民地主義から解放する」約束を歩むことを選んだインドネシア人です。この物語は悲劇的ですが、同時に刺激的でもあり、また、大戦後のアジアの歴史とグローバルな歴史にとって、とても重要です。
東南アジアにおける日本の経験を研究して気づいたことは、第二次世界大戦の歴史をグローバルで比較的な視点から考えてみる、ということです。例えば、インドネシアの視点から大戦を見れば、大戦のグローバルな局面に対して新しくて非常に重要な洞察が得られるでしょう。日本がインドネシアを侵略した1942年当時、インドネシアは数百年にわたるオランダ植民政策に苦しんでいました。なので、インドネシア人はこの大戦をヨーロッパやアメリカがとらえるようには——例えば民主主義とファシズムの対立——とらえていませんでした。どちらかというと、彼らが見て経験したのは、帝国同士——日本と西洋——「との」対立としての戦争であり、彼らが望んだのは自分たちの新たな独立国家を築くために有利に動くことでした。日本人はと言えば、戦争に勝つためにはインドネシアやほかのアジア諸国が日本へ協力することを説得する必要がありましたから、中国で行ったような戦争災害の二の舞を踏むわけにはいきません。ですから、お互いにお互いを自分の目的のために利用しようとしました。もし、私たちが第二次世界大戦の最中に世界を見まわしたら、同じような複雑な状況を多くの場所で見かけたことでしょう。英領インド、アフリカ諸国、おそらくは韓国や台湾でも。つまり、その地域に住む人々は連合国と枢軸国の競り合いの真っただ中で身動きもできず、その災禍に悩みますが、同時に、自分たちの生命と独立に有利になる立場を得ようとしましたし、帝国諸国側は帝国諸国側で自らのレトリックを駆使して地域の心をつかもうとしました。戦争のたどった先に見えるのは、思考やレトリック上のこうした種類のせめぎあい(struggle)であり、それはインドネシアやインド、アフリカ側だけではなく、アメリカやヨーロッパ、日本側にも見られます。この意味では、世界的な歴史に関して、第二次世界大戦とは正に、帝国の命運と独立運動の高まりの戦争だといえるでしょう。これは、従来の戦史が注目してこなかった物語です。なぜなら従来の歴史は、戦闘員——アメリカ人であれ、ヨーロッパ人であれ、日本人であれ——の経験に焦点を当てているからであり、世界の人口の大多数が「中間に」(“in-between”)いるにも関わらず、そうした人々の経験にこれまで焦点を当ててこなかったからです。
これは、ある種グローバルな視野ともいえ、私は研究だけではなく授業をする際にも楽しんで発展させています。東京外大での(ライデン大学と同じように)私の授業は、1930年代と40年代における日本とアジアの経験であり、それは今まで述べてきたような経験の記憶とともに、世界的かつ比較的視野からみるものです。思うに、とても重要なのはこの歴史を探究し続けることです。なぜなら、戦争経験とは特に日本とアジア隣国との関係に大きな影響を及ぼし続けているというだけでなく、過去にあった帝国主義やファシズムといった現象の複雑な性質を理解することがアジアや世界中で今現在を形作ってている現象を理解する手助けになるからです。
(2016夏)
「今、世界で行われている日本研究」を聴きに行こう
CAAS教員による授業:Japan Studies科目
世界でトップレベルのアジア?アフリカ研究を誇る7機関が連携するCAAS—国際日本学研究院では、そのCAASユニットから日本研究者を招き、「今、世界で行われている日本研究」をここ日本で聴くことができる、魅力的な講義を開講しています。
2016年度秋学期?開講
- Japanese Modernity 1
講師:
クリストファー?ガータイス Christopher GERTEIS(SOAS) 歴史学
曜日?時限:
Thu3/木曜3限
授業内容:
This course examines the historiography of early modern and modern Japan with particular emphasis on the nexus of social and economic change from the Tokugawa to the Taisho and early Showa era (1600 to about 1930). By addressing the question of the relationship between early modernity and the radical transformation to industry and empire experienced by Japan in the late 19th and early 20th centuries, students will read and discuss in-depth to the historiography of English language scholarship published alongside Japan’s rise to prominence as a global power.
- Japanese Wartime Film: Politics of Representation/Representation of Politics
講師:
イリス?ハウカンプ Iris HAUKAMP(SOAS) 映画学
授業内容:
This course considers the relation of film and history by conducting an in-depth analysis of Yamamoto Kajirō’s fighter pilot film Katō hayabusa sentōtai (Colonel Kato’s Falcon Squadron, 1944). The film is representative of kokusaku eiga (‘national policy films’), was highly awarded, and became part of the public’s. cultural repertoire. In terms of local history, Chofu airport hosted ‘special attack units’, and various kokusaku eiga were produced by local film studios.
Each week, we will consider the film from a different perspective and thus will slowly build our own narrative of this particular film project and the time of its production and reception. The course will result in a collaborative, full exploration of the film and its background, resulting in a website dedicated to our findings.
2016年度冬学期?開講
- RETHINKING MODERNITY: JAPAN AND WORLD HISTORY
講師:
キャロル?グラック Carol GLUCK(コロンビア大学)歴史学
授業内容:
The course seeks to place modern Japanese history in a global context, with the larger goal of rethinking concepts and definition of modernity. Modernity is approached as a historical process that began in sometime in the 18th century and continues to this day. What is modernity? How is it experienced in different times and places? How should we understand Japan’s modernity in terms of the commonalities and connections in modern experience around the world?
参考:今後、招聘する予定の教授等一覧〔カッコ内は授業開講時期〕
- クリストファー?ガータイス(SOAS)〔2016秋?冬?2017春〕
- イリス?ハウカンプ(SOAS)〔2016秋〕
- キャロル?グラック(コロンビア大学)〔2016冬〕
2017年度招聘予定
- タイモン?スクリーチ(SOAS)(春?夏)
- タカ?オシキリ(SOAS)(夏)
- 文明載(韓国外国語大学校)(夏?秋)
- ベルナール?トマン(INALCO)(秋?冬)
- キャロル?グラック(コロンビア大)(冬)
以下は既に授業は終了
- 朴容九(韓国外国語大学校)(2016春?夏)
- イーサン?マーク(ライデン大学)(2016夏)
- デイヴィッド?ヒューズ(SOAS)(2015冬)