世界の牛 ~地域の暮らしに根づく人類のパートナー~
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昔々神様が動物の体を作ってやったときに、
丸い腎臓を作ってやったのだけれども、
牛にだけ腎臓を作ってやるのを忘れてしまった。
困った神様は仕方なくほかの動物の腎臓を少しずつ切り取って、
切り取った腎臓をくっつけて牛の腎臓を作ってやった。
だから牛の腎臓はボコボコしているし、
切り取られたほかの動物の腎臓は
丸くなくて豆みたいになってるんだ
ブリヤート語の民話「牛の腎臓」より(中国?内モンゴル自治区にて採録)
山越 康裕 (アジア?アフリカ言語文化研究所)提供
新年明けましておめでとうございます。
2021年になりました。新しい年が皆様にとって良いことがぎゅ~っと詰まった1年でありますように。
新年最初のTUFS Today特集は、今年の丑年を記念して、本学教職員が世界で出会った牛たちを紹介します!
紀元前7000年ごろから家畜化されていたといわれる牛は、人類の文明の発展に大きく関わってきた存在です。人間社会に深く根差しているため、牛たちの姿を通して、各地域の文化や習慣を垣間見ることができるといえるでしょう。
北アメリカ地域の牛
① アメリカ合衆国
- 撮影地:アメリカ合衆国、カンザス州
- 撮影者:中山俊秀(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:母校カンザス大学で開催された危機言語の記録?再活性化ワークショップで講師を担当した際に訪ねた、バイソン(アメリカンバッファロー)を放飼いしている国立公園(だったかな?)で撮影しました。
ラテンアメリカ地域の牛
② ウルグアイ
- 撮影地:ウルグアイ、モンテビデオ市周辺
- 撮影者:舛方周一郎(世界言語社会教育センター)
- 写真について:学生時代バックパッカーとして南米を周遊した時のこと。ちょうどバスがウルグアイのモンテビデオ市周辺に差し掛かった時でした。突然、乗っていたバスが急停止。何かと思い外をみてみると、道路を横断する牛の大群でした。ウルグアイの人口は345万人、人口よりも牛が多い国です。文字通り、牛歩での横断が終わるまでおよそ3時間、バスは、その場で立ち往生しました。しかし、誰一人として、焦る様子もなく、ただのんびりと、時間が過ぎていきました。
ヨーロッパ地域の牛
③ ドイツ
- 撮影地:ドイツ、アルツハウゼン
- 撮影者:Iris Haukamp(世界言語社会教育センター)
④ スペイン
- 撮影地:スペイン、アストゥリアス地方
- 撮影者:久米順子(大学院総合国際学研究院)
- 写真について:2001年6月。どこまでも続くかに思われた山道を上りきると、突然カンタブリア海が目の前に開けました。青い海、空は快晴、牛がのんびり草を食む情景に心はほっこり。道に迷いかけたことも忘れて思わずシャッターを切りました。
⑤ イタリア
「七匹の肥えた牛と七匹の痩せた牛の夢」の話 要約(旧約聖書の「創世記」より)
族長ヤコブの息子ヨセフは、父親にことのほかかわいがられていたので、兄たちにねたまれ、彼らの陰謀で、外国へ奴隷として売られてしまう。エジプトに来たヨセフは、宮廷の護衛隊隊長の家のしもべとして仕えることになったが、その家の奥方から誘惑され、応じなかったので、逆恨みした奥方に濡れ衣を着せられ、投獄されてしまう。ある日、牢で知りあった2人の仲間のために、彼らの夢の夢解きをしてやる。そして、ヨセフの夢解きの通りに、その二人のうち一人は処刑され、もう一人は宮廷人として返り咲く。
ある日、ファラオは、七匹の肥えた牛が七匹の痩せた牛に食われてしまう夢を見て、とても気になり、夢解きをしてくれる者はいないかと探すが、見つからない。ところが、例の家来が、ヨセフのことを思い出し、ヨセフは獄から連れてこられ、夢解きを命じられる。 ヨセフは、七匹の肥えた牛は七年の豊作を、七匹の痩せた牛はそれに続く七年の飢饉を意味することを明らかにする。エジプトは、ヨセフの夢解きにしたがって、来るべき飢饉に備えて食料の備蓄を開始する。ヨセフは、監督官としてこのプロジェクトを任されることとなる。
飢饉が始まると、周りの諸国からも、食料を求めて人々がやってくる。その中には、ヤコブに命じられてやってきた息子たちもいた。息子たちも、奴隷に売られた後、弟がどうなったかを知らないので、監督官を見ても、それがヨセフだとは気が付かない。だが、ヨセフは、兄たちのことにすぐに気が付く。最初は、彼らに意地悪な無理難題を吹っ掛けるかと見えるが、とうとう思い余って、涙ながらに「私はヨセフです」と告白する。
ヨセフは兄たちの過去の悪行を許し、「飢饉の年があと5年続きます」と言って、兄たちと年老いた父をエジプトに呼び寄せ、面倒を見てやる。彼らヘブライ人にあてがわれたのが、ゴシェンの地であった。
- 要約:山本真司(大学院総合国際学研究院)
- 話について:この話から由来して、イタリア語では、『経済的に反映した時代』のことを『肥えた牛の時代』tempo delle vacche grasse と言うなど、『肥えた牛』という表現が使われる言い回しがいくつかあります。
⑥ フランス
- 撮影地:フランス北部、ノルマンディー地方、エトルタ
- 撮影者:山川 広報?社会連携室員
- 写真について:フランスで最古の肉用牛といわれているシャロレー牛。白亜岸壁で有名なエトルタのアモンの崖上にて。
- 撮影地:フランス東部、フランシュ?コンテ地方、ブザンソン近郊の村
- 撮影者:山川 広報?社会連携室員
- 写真について:フランシュ?コンテ地方のモンベリアール牛。コンテチーズは、この種の乳から生産されます。
ロシア地域の牛
⑦ ロシア
- 撮影地:ロシア、モスクワ郊外
- 撮影者:M 広報?社会連携室員
- 写真について:郊外にあるセカンドハウスдача(ダーチャ)を訪れた時に撮影したもの。大都会モスクワから電車で1、2時間で家畜を放牧するような大自然が広がっています。
アジア地域の牛
⑧ 中国 河南省
- 撮影日:2020年12月
- 撮影地:中国 河南省 南陽市
- 撮影者:張 広報?社会連携室員の父
- 撮影日:1997年2月
- 撮影地:中国 河南省 南陽市
- 撮影者:張 広報?社会連携室員の母
- 写真について:1997年当時は農業の機械化が進んでいなく、牛は耕作の仲間として飼われていました。現
- 在は食用に飼育されることの方が多いです。牛の品種は「黄牛」が一般的です。
⑨ 中国 内モンゴル自治区
牛の腎臓を見たことはあるでしょうか? 人の腎臓はよく「豆」のような形をしていると言われますが、牛のそれはなんだかボコボコした不思議な形をしています(気になる人は検索してみてください)。これにまつわる昔話をブリヤートのおばあさんからかつて聞きました。本特集冒頭(「牛の腎臓」)がその民話です。この話はイラストとともに下記の絵本にも収録されています。ご興味ある方はぜひ。
?『こんなはなしがあったんだ 少数言語の民話絵本(1)』(石黒芙美代編?画, パブリック?ブレイン, 2020年)
いずれも
- 撮影地:中国 内モンゴル自治区フルンボイル市エウェンキ族自治旗
- 撮影者:山越康裕(アジア?アフリカ言語文化研究所)
⑩ 中国 青海省黄南チベット族自治州
いずれも
- 撮影地:中国青海省黄南チベット族自治州ツェコ県
- 撮影者:星泉(アジア?アフリカ言語文化研究所)
? タイ
- 撮影地:タイ、ナコーンパトム県
- 撮影者:中山俊秀(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:生まれて初めての水牛カフェ!飲み物を飲んでくつろいだ後は、人懐こい水牛と戯れ…ないまでも、心の交流ができる。
? ミャンマー
- 撮影日:2004年1月14日
- 撮影地:ミャンマー、ラカイン州
- 撮影者:澤田英夫(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:ラカイン王国の古都ミャウッウーからミャウッウー川を河口の州都スィットウェーへと下る5時間の船旅の途中、船上から撮影した写真です。
- 撮影日:2014年1月9日
- 撮影地:ミャンマー、マンダレー地方域タダーウー郡
- 撮影者:澤田英夫(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:轡をした上から籠を被せているのは、みだりにものを食べさせないようにしているのでしょうか?
- 撮影日:2017年9月2日
- 撮影地:ミャンマー、マンダレー地方域チャウッセー郡ドーヂャン遺跡群
- 撮影者:澤田英夫(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:れんが造りの古い遺跡の境内にも牛がいました。
? インド
民話「牡牛の直訴」
アクバル大王は街の真ん中に柱を立て、そこに紐を結び、紐のもう片方の端は、王宮のご寝所の枕元にしつらえた鐘に結び付けた。紐を曳けば鐘が鳴る。民人が直訴できる工夫だ。
ある日、鐘が鳴ったので、侍従に、その者を連れてくるよう命じた。だが、柱のそばに人はおらず、年老いた牡牛が草を食んでいて、時々身体を柱に擦りつけていたのだった。王は動物も歓迎した。曳き入れた牛の言い分が誰も分からずにいたところ、廷臣ビールバルが王の命に応じて、牡牛の口もとに耳を傾けた。ビールバルは「この牛がモウしますに、これまで粉骨砕身仕えてきたのに、耄碌して働けなくなったら、飼い主が餌をくれず、挙句の果てに追い出された、とのことです。」と王に告げた。王は牡牛の飼い主を呼びつけ事情を確認し、裁きをビールバルに委ねた。ビールバルは「今後この牡牛は王宮で大事に世話をする。その飼料代銀貨五百枚を罰金として徴収する。」と飼い主に言い渡した。
〈田中於菟弥?坂田貞二訳『インドの笑話』春秋社、1983年、187-191頁(『アクバルとビールバルの小咄集』より)をもとに水野善文が要約縮小した。〉
- 撮影日:1991年12月3日
- 撮影地:インド、マディヤプラデーシュ州、オールチャーという古都にあるラーマ寺院
- 撮影者:水野善文(大学院総合国際学研究院)
- 写真について:インド留学中、研究テーマとしていた中世の詩人にして詩論家であるケーシャヴ?ダースKeshavdas (1555–1617)が、宮廷詩人として仕えていたオールチャーの王宮に調査に行った際、ヴェトヴァー川という川を挟んだ対岸にあるラーマ寺院にも足を運びました。その時の写真です。ヒンドゥーたちが神聖視する牛ですが、神話ではヒンドゥー教シヴァ神が乗る乗り物とされます。ここでは、シヴァ神とは系統の異なるヴィシュヌ神の化身とされるラーマを祭る本殿に、あたかもこれから参拝に向かうかのように階段をのぼろうとしている敬虔な牛です。
牛にまつわる拙論(http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/94985/4/acs100_05.pdf)によっても、インド文化において古代から牛が如何に重用されてきているかが分かります。
- 撮影日:2001年冬
- 撮影地:インド、デリー市南郊外、マハトマ?ガンディー通り
- 撮影者:澤田英夫(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:インドでは牛はいたるところにいるものですが、幹線道路の中央分離帯に横たわっているのにはさすがに唖然としました。
? パキスタン
- 撮影地:パキスタン、カラチ市内
- 撮影者:萬宮健策(大学院総合国際学研究院)
- 写真について:専門家によると、世界の牛の原種はパキスタンのこのコブウシ(Red Sindhi種)だといいます。幸か不幸か、特に品種改良もされないまま、現代まで変わらない形が受け継がれています。
中東地域の牛
? イラン
- 撮影地:イラン
- 撮影者:吉枝聡子(大学院総合国際学研究院)
- 写真について:ペルセポリスの牡牛のレリーフです。牡牛と獅子は、季節の移り変わりを表すとも言われますが、よく分かっていません。
現在のイランでは、ウシはほとんど見かけません。ただ、イランが7世紀頃まで国教としていたゾロアスター教では、ウシは聖獣とされています。
かつてのイランでは、ウシが飼えるエコロジーがあったのかもしれません。
? シリア
- 撮影地:ダマスカス?アラブ文化センター(上)、ヒムス?アラブ文化センター(中央)、ダマスカス小児科病院小児癌病棟(下)
- 写真提供:青山弘之(大学院総合国際学研究院)
- 写真について:縁があり、シリアの子どもたちが福島?会津の伝統玩具「赤べこ」を作って絵付けする「平和の交響曲を一緒に奏でましょう」という活動を手伝いました。
? エジプト
- 撮影地:エジプト?ブヘイラ県
- 撮影者:熊倉和歌子(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:エジプトでは、水牛は、農耕や灌漑において大いに人間を助けています。耕運機やポンプのない時代はもちろん今よりも多用されていましたが、現在でも水牛は農業において欠かせない動物です。
アフリカ地域の牛
? エチオピア
- 撮影地:エチオピア(エチオピア最大の湖であるタナ湖の湖岸にあるゴルゴラ遺跡近くで2010年に撮影)
- 撮影者:石川博樹(アジア?アフリカ言語文化研究所)
- 写真について:東アフリカ内陸部には、牛が経済的な価値だけではなく、社会的?文化的にも重要な意味を持つEast Africa Cattle Complexという文化が存在します。そのような文化圏に近いエチオピアの北部でも多数の牛が飼育されており、この地の歴史を研究する上でも重要な存在です。
? カメルーン共和国
- 撮影日:2019年9月
- 撮影地:カメルーン共和国東部州
- 撮影者:大石高典(大学院総合国際学研究院)
- 写真について:中部アフリカに広がるコンゴ盆地の熱帯林。その中を突っ切って、ダート道が続きます。森とサバンナの境界に近い地域に暮らす牧畜民たちは、この街道を森へと、雨傘と杖、水筒のような最小限の荷物だけを持ってウシの群れとともに歩いて行きます。はるか数百km南のコンゴにウシを売りに行くのです。ウシの一部は、道中で売られ、解体されて、焼肉料理ソヤの材料になります。と畜は、イスラム教徒が、鋭く研がれたナイフをもちいてハラールのルールにのっとっておこなわれます。
超域の牛
- 絵について:ジュール?ヴェルヌ『ハテラス船長の航海と冒険』(拙訳、2021年初春インスクリプトより刊行予定)の第2部第17章「アルタモントのお返し」中の挿絵の一枚
イギリス人船長ハテラスとアメリア人船長アルタモントは、北極圏における地理上の発見と両国の領分をめぐって、激しく対立していました。しかも、アルタモントはハテラスのお陰で生死の境から救出されたにもかかわらず、二人の対立は深まるばかりでした。そんな中、両者は食料を調達するため、その名の通り得も言われぬ香りで美味なジャコウウシ(麝香牛)狩りに出ます。ですが、狩りの最中、ハテラスはウシの猛攻を受け、もはやこれまでかと思われたその時、アルタモントによって救われます。二人に同行していたクロボニーは、このウシを「和解のウシ」と名づけ、以後、イギリス人とアメリカ人は一致団結して崇高なる目的へと歩んでいくことになるのでした。 - 提供:荒原邦博(大学院総合国際学研究院)図版提供はインスクリプト